[Shortshot!]026
あなたの知らない私
井上 優
晴美は気になっていた。半年前から付き合いだした洋二は、ときどき遠い目をする。悲しい過去を引きずっているのだろうか。それとも、悩みがあるのだろうか。大好きな洋二のことだから、なんでも知りたい。
何日も悩んだ末、洋二を自宅へ招待することにした。一人暮らしのワンルームマンションだが、晴美の手料理をご馳走すれば、洋二の気分も軽くなり、何かを話してくれるかもしれない。そう思ったからだ。
晴美の招待を洋二は快く受けた。晴美はうれしかった。洋二もうれしそうだった。そのときすでに晴美の頭の中には、料理のレシピが整列していた。
その日、洋二は約束の時間通りにやってきた。いつものことだが、洋二は時間に正確だ。まるで列車のように、時間通りに現れる。
晴美に促されて、洋二はテーブルについた。フローリングの部屋だが、毛先の長いカーペットが敷かれており、その上に座り込む格好になった。洋二が座るとすぐに、晴美が手料理を運びだす。次から次へと運ばれる料理に、洋二は目を見張った。
「晴美ちゃん、すごいね。全部自分で作ったのかい?」
晴美がテーブルにつくと、洋二が聞いた。
「うん。私、料理が大好きなの」
洋二が料理に手を付ける。
「うまい! うまいよ晴美ちゃん。材料や調味料のバランスが抜群だよ。すごいな。晴美ちゃんの特技が料理だったとは知らなかったな」
「特技ってほどじゃないけど。じゃあ、洋二さんの特技は?」
いつになく明るい洋二を見てうれしくなった晴美が話を振る。
「特技――か。僕の特技と言えば、暗算が速いくらいかな」
「暗算って、頭の中で計算するあれ?」
「そうさ。こんなのが速くたってしょうがないけどね」
洋二が少し暗くなる。せっかく明るくなったのに、これではいけないと、晴美が言う。
「そんなことないわよ。じゃあ、ちょっとやってみましょうよ。ね、私が問題を出すから答えてね。いい?」
「ああ、いいよ」
「いくわよ。三たす百五十六たす二万五千三百二十一かける、かっこ五百万とび一たす三十二割る六千二百十……では」
「一億六千五百四十八万九千百五十二・三二六五四四一」
即座に答えられて、晴美は驚いた。単なる足し算だけではなく、一つの式にカッコがついた割算やかけ算まで入っているのに……。しかしいい加減に答えているのかもしれない。
「それって、当たりなの?」
反対に晴美が聞く。すると洋二が言った。
「いいはずだよ。なんなら電卓で計算してみる?」
言われて、晴美が電卓をもち出す。洋二はもう一度「問題」を言った。晴美は「問題」を紙に書き、カッコでくくられた部分を先に計算するなどした。もちろん電卓で。
「大当たり。すごいわ洋二さん」
「いやー、それほどでも」
晴美は感心していた。計算が合っていることもすごいが、問題まで覚えていたことに興味を持った。暗算が特技と言うだけのことはある。
晴美が感心していると、洋二がトイレに立った。
トイレは洗面所と一体になっていた。洋二は便器の前には立たずに、入口の左側にある洗面台の鏡に向かった。そして鏡の横にコンセントを見つけると、軽くほほえんだ。
「久しぶりに四則演算の回路を使ったんで、電力不足になっちゃったよ」
独り言を言いながら、洋二は後頭部の髪の毛の中から細いコードを引き出し、コンセントに差し込んだ。瞬間、軽く頭が揺れた。瞳孔が三度激しく開閉し、それは終わった。
コンセントを抜き、頭の中へ戻そうとしたとき、左側に気配を感じた。晴美だった。「見られた」と思った。自分がサイボーグだということだけは、晴美に知られたくなかった。だから大好きな晴美と一緒にいても、ときどき遠い目をしていた洋二だったのだ……。
しかし晴美は、驚きはしなかった。洋二の頭から伸びているコードを見て、ほほえみながら言った。
「なーんだ、洋二さんって私と同じだったんだね」
言いながら晴美は、脇の下から料理のレシピをプリントアウトして見せた。